生活学4篇について

『住居の発見』『住生活の観察』『住居の意味』『住居の形態』からなる吉阪隆正集1~4巻は、生活学篇として位置づけられている。とくに前2冊に関しては、吉阪がル・コルビュジエに師事するまでに著したものから構成されており、後2冊は師事後に記述されたものであるそうだ。

 

『住居の発見』には、吉阪隆正の卒業論文と、『住居学汎論』が収録されている。今となっては普通のことのように思われるかもしれないが、吉阪は住居の考察を人文地理学的視点から行うことで、住居を研究対象としている。ここでの地理学的考察は、気候条件やそれに起因する住まい方から住居の形態を説明するものであった。例えば、冷寒地では住居内で火を炊くので、排煙口が屋根に設けられること。赤道直下の地域では蒸し暑い上に住居内の湿度を低く保ちたいがために、屋根だけの住居も存在することなど。『住居学汎論』の内容については、教科書的な「住宅計画」の話はほぼ一切でてこない。それは、「住居とはなにか」という本質に迫る試みを学生向けに整理されたものだった。計画論を期待して読めば肩透かしを食らうかもしれないが、学生一人ひとりに、住居について真剣に考えてもらいたかったのだろう、と思う(今どきの学生にはウケがよくなさそうではあるが…)。

 

この4篇中では、世界各地の民族住居が多く紹介される。文化人類学的な視点が多数盛り込まれたものでは、『建築家なしの建築』(B・ルドフスキー)がもっとも有名な本であると思われる。が、吉阪隆正は民族住居に加え、欧米諸国の住宅事情にまで踏み込んでいる(3巻『住居の意味』)。このことから、彼は単に地域主義の回復を目指していたわけではないことが伺えるだろう。人類共通の住居の本質を探りつつ、これからの住居がいかにあるべきなのかを真剣に考えていたと言えるのではないか。なお彼のこの視点は現代にも通ずるところがあるのは言うまでもない。

 

人文地理学的視点からの考察から始まった吉阪隆正の研究は、その後人類学・哲学的な要素が登場することになる。住まうことの根拠を「拠点」とし、自己を中心に同心円状の領域が形成されるというような話は、『人間と空間』(オットー・フリードリッヒ・ボルノウ)で説明される「中心性」からなる空間概念ともリンクするといえるだろう。20世紀を生きた彼にとって住まいの原型を科学的根拠に基づいて説明することは非常に困難であっただろうが、一連の考察は的を得たものだと思わざるを得ない。それは、人間的まなざしから論じられるからであろうか。