IT技術

初めてのzoom利用のミーティングをすることになる。私はwebカメラを持っていないので、スマートフォンをのインカメを使って顔を写すことになる。2年前のiphoneだが、ビデオ機能の画質はそこまでよくないな、ということに初めて気づいた。自分の顔は相手に縮小されて映るから、まあ問題ないか、という気がするけれど。

 

直接人と会うことはなくともコミュニケーションがとれる時代になって久しい。リアルタイムで行われるものに関しては、電話にはじまり、ビデオ通話が生み出され、この状況下においてはそれがスタンダードツールになりつつある。非同期的な通信技術についても、電報、手紙、メール、SNS…というように、着実に更新をとげてきた。こうした通信技術が現代において非常に重要視されるのは当然であり、これら情報産業によって現在の経済がまわりつつある。

 

これらが更に発展(具体的には分からないが)したとしても。すべてがリモートで完結する世界、というのはありえないだろう。画像検索フォームのように、検索した情報が整列されるような世界はすでに確立され、インターネットを利用する人はすでにその利便性を享受している。ヨーロッパの都市の名前を検索バーに打ち込めば、大量のそこの写真がまたたく間に画面いっぱいに表示される。そこで、『この都市はこういう雰囲気で、こういう建物が並ぶ』というイメージを獲得できる。しかし、やはり生の情報には叶わない。画像というものはやはり、無限に捉えうる実空間のほんの一部を切り取ったものに過ぎない。写真であれば、取り手の意思が介入されることになり、そこに本当の『私』は存在しない。現実の解像度には到底かなわない。現地に自らの足で降りるという身体性を伴って初めて、経験として自らの血肉になりえる、と私は思う。古い考えかもしれないが。仮にVRが普及すれば、建築物や都市空間をよりリアルに感じられるのかもしれない。けれどもやはりそれは血肉になる経験にはなりえないのではないか。表層部分の理解に終始する。もちろん、VRのような技術を単に否定しているわけではない。それをきっかけに実地に向かうことにはなり得るだろうから、必要なものだと考える。あと、取り壊された建築物の再現などにも有効であろうから。

 

コロナの後の建築、というのはどういうものになるのであろうか。ネットの加速にともない実空間の軽視が進み、他律的な方向性がさらに志向されるようになるのであろうか。それとも反動から、なにか象徴性に近いものをもった表現主義的なものが台頭するのであろうか。おそらく前者と思う。最近は商業建築に代表されるような、いわゆる『インスタ映え』建築が流行していたのだから。過多と過小は時代を繰り返す。