教育改革?

教育格差について論じられることが増えてきたのではないだろうか。オンライン授業であったり、学校に通わなくても授業が受けられるシステムの整備が急がれているようだ。環境によって教育格差が生じるのは良いことではない、とはわかるのだが、なにか論点がずれているのではないか?と感じることもある。

 

私は一応大学教育を修了しているのでそう思うだけなのかもしれないが、そもそも教育とは、教員と生徒の交流から生じるものではないのか。一方的に教師が授業するだけ、というのは本来の教育ではないと思う。学生が能動的に学ぶ環境を整えるのが教育ではないのか。しかしながらオンライン環境での授業は、ラジオ的な受け身の授業しか発生しない、と予想してしまう。もちろん最初は新鮮さもあり、生徒はしばしば反応を返すと思う。それがいつまで継続されるのだろうか。こうしたオンライン環境にはメリットもあり、一方で本来の教育的側面は排他されることを認識しなくてはならない。

 

そういったことが議論されない時点で、日本の教育は形骸化していることが伺えるだろう。これからの国の将来を担う子供たちの将来を考えるうえでは、この現状はつくづく残念に思われる。

 

テレワークの普及によって、働き方が多様化することは良いことであるだろうし、それに対応して住宅のあり方も多少変化していくと考えられる。ベッドタウンの居住者は通勤時間が少なくなり、その時間を有効に活用できる点では素晴らしい。都市計画的な観点からみれば、ニュータウンにみられる近代都市計画から脱却し得るのかもしれない。

 

この動向が悪い方向に向かわないことを祈るばかりである。例えば、テレワークにより生産効率が低下することはそのひとつであろう。人は怠惰になることを好むために、会社の構成員の2割はこうなってしまうのではないだろうか(勝手な推測で申し訳ないが)。これも原因をたどれば、現在の就職活動システムと教育機関の齟齬にあると思ってしまう。多くの大学が就職予備校のような状態に思われてならない。この状態が打破されるときはくるのだろうか。

 

とにかく、教員と学生の相互交流の可能性について議論されずに、オンライン環境だけが整備されていくことに不安を覚える。形だけの教育課程を少しずつ変え、学生個々人が各々で多様に学びを選択できる環境が早い段階から整えられていけば、よりユニークな人間が育つと思うのだが。

 

なお9月から新学期、というのには賛成したいが、本年度から始めるのは明らかに不可能であると思う。猶予期間を設け、就職活動との連携を多少調整しなければ、コロナ世代は単なるモルモットに終わるだろう。