住居の形態

生活学4篇はとりあえず通読完了した。4巻目にあたる「住居の形態」では、それまでの3巻の研究者的観点からはやや異なり、吉阪隆正の住宅作品に関する記述が多い。コンクリートをなぜ使用するのか、また住宅作品の形態がどのようにして決定されたのかなどが綴られている。なお後者に関しては明確な記述は存在しないし、そもそも言語化不可能な作業として位置づけられているように思う。施主の生活与件に基づいた結果が平面計画に反映され、修正と変更を重ねた結果、非常に具体的な形態として表出したとのことである。

 

もちろん吉阪の建築作品に触れるには、U研究室の存在は無視できないだろう。吉阪自邸に関しては本人の計画による部分が大きいだろうが、浦邸などでは大竹十一のスタディが大きな比重を占めたはずだ。その他、富田玲子や樋口裕康らがそれぞれ中心を担当した物件もあるとのことで、吉阪+U研究室の建築作品を画一的に論じることは難しいかもしれない。

 

造形的な住宅作品を残し続けたと多くの人に認識されていると思うが、内部の居住空間に関してはどれもが精密に計画されていたと考えられる。人間と人間、人間と具体的な事物の関係を捉える生活学で養われた吉阪の態度が、細部の設計にあらわれていたのだろう。原寸図面の多さも、同様の視点から説明できる。極めて人間的な尺度から設計活動に取り組んでいたのだ。

 

一方で、全体的にはおおらかさが感じられる建築だったと思われる。RCを積極的に用いながらも、完成した作品はモダニズムからは遠い印象を現在の我々に与える。もちろん、生活の与件から平面が決定されていくという点では機能主義的であるが、形態的にはモダニズムの文法を用いない(水平連窓を使用した住宅もあるけれども)。丹下健三モダニズムと日本建築との共通項を見出して、形態的に日本のモダニズムを打ち出したのとは、決定的に異なる姿勢であることがわかる。秩序的な空間は美を我々に教えてくれるが、それは緊張感も伴うものだ。吉阪の住宅ではそのような緊張感というよりも、「自由な」生活が背景に浮かぶ。

 

その初めの設計理念を「人工土地をつくり、大地を万人に解放する」と謳ったことからも、吉阪のおおらかさは感じられよう。住宅の公共性だとか、様々なことが住宅作品にも求められる現在ではあるが、吉阪は無自覚ながら、50年代に住宅の公共性を実現していた。しかも、非常に身体的なレベルにおいてである。

 

話を戻す。「おおらかな全体性」と「人間に寄与する部分」のバランスというのは、現代住宅においても非常に重要な構成関係にあるのではないだろうか。「ヒューマンスケールな建築」の重要性は常に示唆される。例えば、ルイス・カーンエクセター図書館の勉強スペースのような書斎が自宅にあれば、どれほど落ち着いて自分の時間を過ごすことができるか。しかし、住宅の一から十までヒューマンスケールであった場合、それはどこか窮屈に感じられると思う。とくに都市住宅においては、雑多な都市生活のなかで緊張を強いられるために、それを解放するための「おおらかな住宅」が求められる傾向にあるに違いない。増えていく身の回りのモノと住み手の関係もそうだ。雑多なモノを違和感なく生活に溶け込ませることが、おおらかさの一つであろう。ここに、現代住宅のひとつの潮流が認められる。

 

以上が、現代からみた吉阪の住宅作品に対する印象である。もちろん詳細な分析は行っていないし、図面に関しても目を通した程度でしか見ていないので、ほぼ私の主観による。しかしながら、特徴的な形態以外に目を向けることができるし、現代においても通用する住宅であると思われるのだ。それは生活学コルビュジエを介して養われた吉阪の思考の強靭さを物語る。

 

まあ、自邸に関しては吉阪本人にしか住めないだろうし、施工の精度も現代からは目も当てられないだろうが…。

 

 

『住居学汎論』や『住居学』に関しては、今後も読み返したいと思う。忘れてはならない本質が詰まっている、と思うのである。

教育改革?

教育格差について論じられることが増えてきたのではないだろうか。オンライン授業であったり、学校に通わなくても授業が受けられるシステムの整備が急がれているようだ。環境によって教育格差が生じるのは良いことではない、とはわかるのだが、なにか論点がずれているのではないか?と感じることもある。

 

私は一応大学教育を修了しているのでそう思うだけなのかもしれないが、そもそも教育とは、教員と生徒の交流から生じるものではないのか。一方的に教師が授業するだけ、というのは本来の教育ではないと思う。学生が能動的に学ぶ環境を整えるのが教育ではないのか。しかしながらオンライン環境での授業は、ラジオ的な受け身の授業しか発生しない、と予想してしまう。もちろん最初は新鮮さもあり、生徒はしばしば反応を返すと思う。それがいつまで継続されるのだろうか。こうしたオンライン環境にはメリットもあり、一方で本来の教育的側面は排他されることを認識しなくてはならない。

 

そういったことが議論されない時点で、日本の教育は形骸化していることが伺えるだろう。これからの国の将来を担う子供たちの将来を考えるうえでは、この現状はつくづく残念に思われる。

 

テレワークの普及によって、働き方が多様化することは良いことであるだろうし、それに対応して住宅のあり方も多少変化していくと考えられる。ベッドタウンの居住者は通勤時間が少なくなり、その時間を有効に活用できる点では素晴らしい。都市計画的な観点からみれば、ニュータウンにみられる近代都市計画から脱却し得るのかもしれない。

 

この動向が悪い方向に向かわないことを祈るばかりである。例えば、テレワークにより生産効率が低下することはそのひとつであろう。人は怠惰になることを好むために、会社の構成員の2割はこうなってしまうのではないだろうか(勝手な推測で申し訳ないが)。これも原因をたどれば、現在の就職活動システムと教育機関の齟齬にあると思ってしまう。多くの大学が就職予備校のような状態に思われてならない。この状態が打破されるときはくるのだろうか。

 

とにかく、教員と学生の相互交流の可能性について議論されずに、オンライン環境だけが整備されていくことに不安を覚える。形だけの教育課程を少しずつ変え、学生個々人が各々で多様に学びを選択できる環境が早い段階から整えられていけば、よりユニークな人間が育つと思うのだが。

 

なお9月から新学期、というのには賛成したいが、本年度から始めるのは明らかに不可能であると思う。猶予期間を設け、就職活動との連携を多少調整しなければ、コロナ世代は単なるモルモットに終わるだろう。

住居の意味

自身のアウトプットの習慣化のために一日に1000文字ぐらいは書こうとしていたのだが、先日は500字程度のを一本だけ、ということになってしまった。反省。

 

吉阪隆正集は3巻までとりあえず読み進めた。ところどころ流しながら読んでしまっている。が、重複する内容も多々登場するので妥協というところ。

 

第3巻は『住居の意味』である。ここに、吉阪隆正のもつ住居論が述べられていると思う。以前述べたように、彼は世界中の住居を観察し住居の普遍性を追求しようとした。そのなかで「生活学」という視点にたち、人類史的考察を繰り広げる。それは人間の根源的なものであり、生きることとはなにか、を私達に再確認させてくれる。

 

これら一連の「住まいの原型」に関する論考は十分に科学的とはいえないかもしれない。現代においては時代遅れだという意見もあるかもしれない。しかし、住まいの原型を探ることは、すなわち「人間とはなにか」という問いを突き詰めることであり、それを介して今後の人類の生活を考えることになるのである。したがって、この観点は忘れ去られてはならない。

 

現代においては、この「住まいの原型」について、各個人の「住まいの原型」があると適用できると考えられよう。住宅は個人と社会の境界にあるものだが、「自己保存」と「自己発展」の場としての住居のあり方は個々人によって異なる。特に多様性が叫ばれる現在においてはなおさらだ。個々人の生活をある型で定めることなどできないし、仮にしたとしてもそれは時間経過で様相が変化する。そこで、各人が自身の生活に対して覚醒し、どのように自己実現するのか、ということになってくるのである。これが個々人の「住まいの原型」となる。

 

ここに、商品化住宅の危険性が指摘される。とくに建売分譲では、いまだに◯LDKという表記が使用されている。(テレビ番組の住宅紹介番組などをみていると、農村住宅までもがこの表記で紹介される始末である。これについてはかなり不快に感じる)室数と機能が画一化された住宅において、住まい手の主体的な生活に寄与し得るのだろうか。この問題は90年代から叫ばれているものの、未だに改善されないように思う。商品化住宅(とくにnLDK型)についてはまた別の機会に述べたい。

 

話が戻るが、個々人の生活は簡単に型に当てはめることができない、という話があった。しかし吉阪隆正によれば、個々の生活を細分化すると大きく分けて3つに分類されるという。生理的行動(食事・睡眠・排便・生殖など)を「第一生活」、生産的行動(いまでいう職能)を「第二生活」、表現的活動を「第三生活」というように。特筆すべきはやはり第三生活の存在であろう。彼は、第一生活と第二生活の存在理由は第三生活のためにある、とまで記している。ここに人間の生きる意味がある。古代の壁画などからも通底する考えであるという。なお、第一生活の余裕がでてくると第二生活が登場し、第二生活は第一生活とは無関係に肥大化することもある。これはまさに現状のコロナ禍の社会情勢と一致する。

 

このような生活構造を述べた上で、吉阪隆正は生活の弾力性を強調した。それは、時代に合わせた住まいへの提言だったのだろう。いつの時代も、保守と革新がぶつかりあいながらも、次第に革新的要素が取り入れられていく。それがいつしか普遍になるのである。生活の弾力性は、新たな器に適応できるのだ。ここに彼は、人工土地の提案をした。

 

近代的な理想主義の香りが漂い、現代では時代錯誤感が強いかもしれない、しかしそこには人間への信頼性が見え隠れしている。彼は最も人間を愛した研究者・建築家のひとりだったであろう。

ワイドショー

ワイドショーを流し見していると、どうもここになってウイルス再生産数の話が散見されるようになった。普段からテレビをみる癖がないので、詳しい事情はわからないのだが、テレビ番組にてこの再生産数に関して議論されてきたことはそう多くなかったのではないだろうか。

 

この概念については、騒動初動のころから専門家が発信してきたものであるはずだ。「8割おじさん」こと西浦教授がなぜ8割かと発信しつづけていたのかというと、この再生産数を1以下にするための目標としての「8割」だったのではないか。それを今になってテレビ番組が取り上げているというのは、なんだか今更感を強く感じる。

 

メディアから情報を得ることは、現代を生きるうえで非常に重要なことであるとは思うのだが、それらはテレビ局や新聞社を介して発信される「二次情報」であることには留意しなければならない。情報社会に踊らされる前に、まずは自ら「一次情報」にあたるべきだ。一次情報から必要なことを取捨選択し、意思決定し、主体的に行動することを心がけたいと常に思う。

生活学4篇について

『住居の発見』『住生活の観察』『住居の意味』『住居の形態』からなる吉阪隆正集1~4巻は、生活学篇として位置づけられている。とくに前2冊に関しては、吉阪がル・コルビュジエに師事するまでに著したものから構成されており、後2冊は師事後に記述されたものであるそうだ。

 

『住居の発見』には、吉阪隆正の卒業論文と、『住居学汎論』が収録されている。今となっては普通のことのように思われるかもしれないが、吉阪は住居の考察を人文地理学的視点から行うことで、住居を研究対象としている。ここでの地理学的考察は、気候条件やそれに起因する住まい方から住居の形態を説明するものであった。例えば、冷寒地では住居内で火を炊くので、排煙口が屋根に設けられること。赤道直下の地域では蒸し暑い上に住居内の湿度を低く保ちたいがために、屋根だけの住居も存在することなど。『住居学汎論』の内容については、教科書的な「住宅計画」の話はほぼ一切でてこない。それは、「住居とはなにか」という本質に迫る試みを学生向けに整理されたものだった。計画論を期待して読めば肩透かしを食らうかもしれないが、学生一人ひとりに、住居について真剣に考えてもらいたかったのだろう、と思う(今どきの学生にはウケがよくなさそうではあるが…)。

 

この4篇中では、世界各地の民族住居が多く紹介される。文化人類学的な視点が多数盛り込まれたものでは、『建築家なしの建築』(B・ルドフスキー)がもっとも有名な本であると思われる。が、吉阪隆正は民族住居に加え、欧米諸国の住宅事情にまで踏み込んでいる(3巻『住居の意味』)。このことから、彼は単に地域主義の回復を目指していたわけではないことが伺えるだろう。人類共通の住居の本質を探りつつ、これからの住居がいかにあるべきなのかを真剣に考えていたと言えるのではないか。なお彼のこの視点は現代にも通ずるところがあるのは言うまでもない。

 

人文地理学的視点からの考察から始まった吉阪隆正の研究は、その後人類学・哲学的な要素が登場することになる。住まうことの根拠を「拠点」とし、自己を中心に同心円状の領域が形成されるというような話は、『人間と空間』(オットー・フリードリッヒ・ボルノウ)で説明される「中心性」からなる空間概念ともリンクするといえるだろう。20世紀を生きた彼にとって住まいの原型を科学的根拠に基づいて説明することは非常に困難であっただろうが、一連の考察は的を得たものだと思わざるを得ない。それは、人間的まなざしから論じられるからであろうか。

吉阪隆正集について

吉阪隆正という人物は、ル・コルビュジエの弟子の1人として有名だと思う。「有形学」や「不連続統一体」といった独自の考えをもとに、独創的な建築物を後世にまで残していると言えるだろう。「八王子セミナーハウス」や「アテネ・フランセ」等は、今でも東京に現存している。私は地方住みの貧乏者なので、未だに見学できていないのだが。

 

建築家としての吉阪隆正は上記のようなイメージであると思われるが、私が本当に興味があるのは、研究者としての吉阪隆正である。彼は、世界中の住居を調査しようとした。それは、人類の住まいの本質を追求する行為にほかならないだろう。多様な住居形態の共通項と差異を整理することは、住居の構造(この構造はもちろん力学的構造を示すのではなく、文化・地理・環境等からなる構成要因のことを示す。コンテクストに近い)理解のための第一歩であったはずだ。これは、「住まいとはなにか」「住居とはなにか」という、非常に根源的な問いへの挑戦であったといえよう。

 

上記のような彼の住居への志向は、ル・コルビュジエとは別のもう1人の師である、今和次郎への師事が背景にあるだろう。今は、「考現学」、つまりスケッチで民芸品や生活の様子を詳細に記録するという手法を確立した人物である。住居に関しては、『日本の民家』という本が有名だろうか。ちなみに今のもう1人の弟子である佐々木嘉彦の研究にも注目すべきなのだが、そこまで手が回っていない。

 

その後、吉阪隆正は住居から地域・都市計画へと研究を広げていったわけであるが、彼の住居・地域・都市へのまなざしは、今でもその輝きを失ってはいない、と思う。彼は論文こそ数を出してはいないが、建築という分野の人間であるから、研究成果を建築計画・地域計画で具体的な形態にまで落とし込んでいったのだろう。その結果が、建築家としての吉阪隆正の姿なのではないか。

 

論文ではないものの、吉阪隆正の著作は多い。それらが編纂されて、彼の死後、吉阪隆正集が出版された。30年以上前の出版ではあるものの、ここに住居や地域・都市を考えるうえでのヒントがまだ眠っている、と私は考える。「真に人間的な」計画とはなにかを考えるうえで(とくにこのご時世だからというのもあるが)、彼の存在は無視できなかったのだ。

 

この膨大な量の思考の跡をたどることはできるのだろうか。はたまた、私のような素人同然の者に、彼の思考を少しでも理解することができるのかどうか。

 

少量ずつしか読みすすめることはできないだろうが、吉阪隆正という巨大な、そして最も人間らしい人間に地道に立ち向かっていきたいものである。